忘れてはいけないこと。

この記事はshortnoteに書いたもの。
2016.8月に書きました。
これはどうしても忘れたくなかったから、ここに転載。
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あの事故のことは、覚えている。
1985年8月12日、月曜日。
わたしは4歳になったばかり。
この日は確か、叔父を迎えに両親と千歳空港へ行っていた。
子供だったわたしは、飛行機事故=叔父の乗ってる飛行機 という脳内変換していた記憶。でも、飛行機が墜落したらどうなるかなんてわかってたはずもない。
帰りの車の中のラジオを少し聞いていた記憶、祖母の家でニュースを見ていた記憶が断片的にある。
そして、その数日後、弟が生まれた。

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8月になると各メディアで報道もするから、やっぱりあの事故を思い出してしまう。
ブラックボックスの音声を聞いて、なんともいえない苦しさを感じた年もあった。

でも、今年の感じ方は全く違った。
事故に無関係といえばそれまでな感情。


日航機墜落 父の遺書から命学ぶ 札幌の教員、慰霊登山|毎日新聞2016年8月11日 21時50分(最終更新 8月12日 02時12分)
http://mainichi.jp/articles/20160812/k00/00m/040/086000c

↓↓↓↓↓ 以下、引用 ↓↓↓↓↓
事故から31年 命日の16年8月12日に
 520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、父親の村上良平さん(当時43歳)を失った札幌市の小学校教員、折田みきさん(44)は今年も命日の12日に墜落現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に登る。機内で父が残してくれたメッセージに応えるために。「今年もみんな元気で暮らしています」と−−。
 当時、折田さんは中学2年生。千葉県柏市の自宅でテレビを見ていると、搭乗者名簿に父親の名前があることが繰り返し報じられていた。それからはほとんど記憶がない。事故後、両親の実家がある札幌市に引っ越した。
 遺書の存在を知ったのは事故の約1カ月後。遺品を返却に来た群馬県警の警察官から教えられた。父が勤めていた会社のA4判の封筒。両面に黒と青のボールペンで走り書きされていた。「みんな元気でくらして下さい さようなら」。母と自分、弟、妹、家族全員の名前があった。
 最期まで家族のことを思ってくれた父。「明るく元気で生きることがお父さんの願いなんだ」。家族と話す時間が増え、進学や就職がうまくいくと「お父さんのおかげだね」と言葉を交わした。
 数年前、父の年齢に近づき遺書を改めて読み返した。震える字。エンジニアだった父らしく、時刻とその時の機内の様子が克明につづられていた。事故から30年を迎えた昨年、母須美子さん(69)から遺書を預かった。自分をずっと励まし支え続けてくれた宝物は、自宅のクローゼットに大切にしまってある。
 小学校では、父から託された命の大切さを折に触れて子どもたちに教えている。先月、1学期の終業式の日に担任を受け持つ4年生の児童に呼びかけた。「『行ってらっしゃい』と見送った相手に二度と会えないこともあるんだよ。家族が無事に生きているのは大事なこと。だからみんなも家族に心配をかけないように、事故やけがに気をつけて夏休みを過ごしてください」【鈴木敦子】

村上良平さんの遺書全文
機体が大きく左右にゆれている。
18:30 急に降下中
水平ヒコーしている。
−日本航空−
18:00大阪行事故
死ぬかもしれない
村上良平
みんな元気でくらして下さい。さようなら。
須美子、みき、恭子、賢太郎
18:45 機体は水平で安定してる。
酸素が少ない 気分が悪るい。
機内よりがんばろうの声がする
機体がどうなったのかわからない。
18:46 着陸が心配だ。スチュワーデスは冷せいだ。
↑↑↑↑↑ 以上、引用 ↑↑↑↑↑

この折田みきさんというのは、長男の担任。
ここに記されてる4年生とは、息子たちのクラスのこと。

3年の頃から、どこかサバサバとしたドライな面もあれば、熱い時もあり、丁寧に向き合う姿勢や、気さくさ…息子もわたしも大好きな先生です。
先生のお父さんは飛行機の事故で亡くなったんだってーって去年話してた息子。
真に受けなかったわたし。

そして、今年の終業式から帰宅した息子は、この記事に書かれてるように、先生から夏休み過ごしてねって言われたと話してくれました。

それから数週間後に、偶然見つけたこの記事。

先生はとても小柄だけど、たまに腕と足に重りをつけて授業をしていることがある。
山登りをする話を聞いたことがある。
飛行機の事故の話。
お父さんを亡くされたと聞いた話。
命の大切さをとても熱心に話されていたこと。
家族や友達を大切にすることをいつも話していたこと。
それ以上に自分を大切にすることを何度も話されてた。
全てが繋がった。

わたしよりちょうど10歳上の先生。
当時は多感な中学生。その時期に親を失うということ、それもこんな大きな事故で。
それでも。立派に先生になってる先生の家族の温かさとか、気持ちの強さとか、親を思う気持ち、感謝の気持ち。。

わたしも女であり、娘でもあり、子を持つ親でもあるから。
突然父親を失ったら…突然子供を遺して命が絶えてしまったら。どちらの立場の気持ち全部なんて理解はできないけれど。

息子は先生のお父様きっかけで、この事故のことを知りたいと言い出した。
ただの興味かもしれない。
でも。そこで先生がどんなに悲しい思いをしたのか、でもそのことだけではなく、しっかりと人生を歩んでることを、命と家族の大切さをちょっとでも学んでいるならと、涙目で本を読んだりネットの話を読む息子を見て思うのです。

家族や友達を大切にする。
当たり前のようで、当たり前にはできていない。
わたしも、息子にキツくあたることも、八つ当たりしちゃうこともある。
息子から、そして息子の担任の先生から学ばせてもらった気がする。

全くの余計なお世話だけど、この新聞記事を読んで、先生のことをぎゅーってしてあげたいって思ったわたしは、変でしょうか?
…変ですね。。


この施設に一度は連れて行ってみたい。
日本航空安全啓発センター
https://www.jal.com/ja/flight/safety/center/
基本的には社員研修施設だそうですが、予約をすれば個人でも見学できるようです。

最後に。
犠牲者の方々のご冥福を、お祈り申し上げます。

m life

思ったことを書き記す わたしの徒然縷々ノート。 その時感じた素直な気持ちを 誰に知られなくてもいいから 自分では忘れたくなくて ここにひっそりと残してみます。

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